古典 リアリズム 1948

『国際政治——権力と平和』——人間本性から見た権力政治

ハンス・モーゲンソー / Politics Among Nations: The Struggle for Power and Peace

Book Data

原題
Politics Among Nations: The Struggle for Power and Peace
著者
ハンス・J・モーゲンソー(Hans J. Morgenthau, 1904–1980)
初版
1948年(版を重ね、第2版で「政治的リアリズムの六原則」を追加)
邦訳
『国際政治——権力と平和』原彬久監訳、岩波文庫(上・中・下)ほか
分類
国際政治理論/古典的リアリズム

この本の位置づけ

ドイツ生まれのユダヤ系法学者であったモーゲンソーは、ナチスの台頭を逃れて米国に渡りました。 法によって権力を統御しようとする試みが目の前で崩壊するのを見た経験が、本書の底流にあります。

カー『危機の二十年』が戦間期の思考法を解体する批判の書だったのに対し、 本書は解体のあとに何を建てるかを示そうとした体系の書です。 戦後アメリカの大学で国際政治学の標準的教科書となり、 冷戦期の外交論の語彙——国益、勢力均衡、抑止——の多くを供給しました。

議論の要約

1. 政治には固有の領域がある

モーゲンソーの出発点は、政治が経済や道徳や法に還元できない自律的な領域を持つ、という主張です。 経済学者が「効用」という基準で世界を見るように、政治を理解する者は「権力」という基準で世界を見なければならない。 この方法論的な要求が、本書全体を貫きます。

ここでいう権力とは、他者の心と行動に対する統制力を指します。 軍事力はその一部にすぎず、外交の質、国民の士気、政府の能力といった無形の要素も含まれます。 モーゲンソーが国力の構成要素を長々と論じるのは、この幅広さを示すためです。

2. 権力によって定義される利益

本書の中心命題は、「国家は権力によって定義される利益にもとづいて行動する」というものです。 この命題は二つの働きをします。

  • 分析上の道具として。 指導者が何を語っているかではなく、その国の置かれた位置から見て何が合理的かを問うことで、 外交政策を理解可能なものにします。 モーゲンソーは、政治家の動機や表明されたイデオロギーから政策を説明することを繰り返し戒めます。
  • 規範上の指針として。 国益を基準に据えることは、無制限な野心にも道徳的十字軍にも歯止めをかけます。 モーゲンソーにとって国益とは、拡張の口実ではなく抑制の原理でした。

3. 人間本性という基礎

なぜ国際政治は権力闘争になるのか。モーゲンソーの答えは、後の構造的リアリズムとは異なります。 彼はその根拠を国際システムの構造ではなく、人間の本性に求めました。 支配への欲求は人間に根ざしており、それが集団の単位で表出したものが国際政治である、と。

この基礎づけは、後にウォルツから「還元主義的だ」と批判される点ですが、 モーゲンソー自身にとっては重要な意味を持っていました。 人間の性質が変わらない以上、制度の設計だけで権力闘争を消し去ろうとする試みは失敗する—— 戦間期の平和構想への診断が、ここに接続されているのです。

4. 道徳をめぐる二重の主張

モーゲンソーは道徳を否定していません。彼の主張はもっと込み入っています。

第一に、普遍的な道徳原理を国家の行動にそのまま適用することはできない。 個人は自らの信念のために自己犠牲を選べますが、 国家指導者が同じことをすれば、自分に生存を委ねた国民を犠牲にすることになるからです。 指導者の第一の徳は思慮(prudence)であり、 行為の結果を計算することこそが政治における道徳的行為だとされます。

第二に、自国の道徳的立場を普遍的な道徳と同一視してはならない。 モーゲンソーはこれを最も危険な誤りと呼びます。 自国の目的を人類の目的と信じた国は、妥協ができなくなり、戦争は殲滅戦へと向かうからです。 すべての国が権力を追求していると認めることは、皮肉にも節度の条件になります。

政治的リアリズムの六原則(要旨)

  • 政治は、人間本性に根ざす客観的法則に支配されている。
  • 権力によって定義される利益こそが、国際政治を読み解く中心概念である。
  • ただし利益の内容は不変ではなく、時代と状況によって変化する。
  • 普遍的な道徳原理を、国家の行動に抽象的なまま適用することはできない。
  • 特定の国家の道徳的願望を、普遍的な道徳法則と同一視してはならない。
  • 政治の領域は自律しており、その基準で判断されなければならない。

5. 平和への道——制限と調整

本書の後半は平和論に充てられます。モーゲンソーは、 軍縮、集団安全保障、世界政府といった構想を順に検討し、いずれも不十分だと結論します。 世界政府については、それを支える世界共同体が存在しない以上、 建物の設計図だけを描いても意味がないと述べます。

残された現実的な道として彼が挙げるのが、外交の復権です。 国益を明確に定め、相手の国益も同様に実在するものと認め、 譲れる点と譲れない点を見極めて調整する。 本書が最終的に説いたのは、権力政治の讃美ではなく、 権力政治を前提としたうえでの節度ある技法でした。

主要概念

  1. 権力によって定義される利益——外交政策を理解し、また評価するための基準。分析概念であると同時に、過剰な野心を抑える規範でもあります。
  2. 政治の自律性——政治現象は経済的・道徳的・法的な基準ではなく、政治固有の基準で判断されるべきだという方法論。
  3. 思慮——政治における最高の徳。動機の純粋さではなく、行為の帰結に責任を負う姿勢を指します。
  4. 道徳的十字軍への警戒——自国の価値を普遍的価値と同一視することが、妥協の余地を消し、戦争を無制限にするという診断。

批判と論争

  • 概念の曖昧さ。 「権力」も「国益」も、本書の中で複数の意味で用いられています。 国益が事後的に何とでも説明できるなら、理論としての反証可能性を欠くという批判は根強くあります。
  • 人間本性という基礎への疑問。 ウォルツは、 人間本性が一定なら、なぜ戦争の頻度や形態が時代によって変わるのかを説明できないと指摘しました。 この批判が、原因を国際システムの構造に求めるネオリアリズムを生みます。
  • 国内政治と非国家主体の軽視。 国家を単一の合理的主体として扱う想定は、官僚政治や国内世論の影響を捉えにくくします。 コヘイン=ナイらの批判はここに向けられました。
  • 実践における評価。 モーゲンソー自身は、この理論的立場からベトナム戦争に早い段階で反対しました。 リアリズムが好戦的な立場だという通俗的理解が、必ずしも当たらないことを示す事例です。

日本から読むと

本書が日本の読者に投げかける問いは、「国益とは何か」という問いを避けずに議論できるか、という点にあります。

戦後日本では、国益という語がしばしば戦前的な響きを伴って受け取られ、 議論の対象になりにくい時期が続きました。 しかしモーゲンソーの用法では、国益は膨張の合言葉ではなく、 何を守り、何を諦めるかを明示することで対外行動に限界を設ける概念です。 優先順位を明示しない対外政策は、抑制されるどころか、 その時々の情勢や同盟国の要請に流されやすくなります。

もう一つは、価値と利益の関係です。 「自由で開かれた」秩序といった価値を掲げる外交は、正統性という資源を得られる一方、 モーゲンソーの警告に従えば、価値を普遍と信じ込むほど妥協の余地を失います。 価値を掲げつつ、相手にも実在の利益があると認め続けられるか—— 本書の問いは、そのまま今日の日本外交への問いになります。

次に読むなら

  • カー『危機の二十年』 ——本書が体系化しようとした診断そのものを提示した先行作。
  • ウォルツ『国際政治の理論』(記事は準備中) ——本書の人間本性論を退け、構造による説明へ跳躍した理論。
  • コヘイン=ナイ『パワーと相互依存』(記事は準備中) ——国家中心・軍事力中心の前提が成り立たない領域を示した批判。
  • 用語集:古典的現実主義勢力均衡ハード・パワー